2016-9-4
安野モヨコの『オチビサン』が、鎌倉彫の名家「博古堂」とコラボレーション。手間をかけて作った宝物
こんにちは、ライターの塩谷舞と申します。
1年前、安野モヨコさんのインタビューをしたことがきっかけで
安野さんの色んな作品づくりに
参戦させてもらうことになりました。
安野さんとお仕事をすると、日々小さな発見というか、
「あぁ、美しく過ごそう…!」と背筋が伸びることが、よくあるんですよ。
たとえば以前お食事中に発された、安野さんの一言。
「きちんとアイロンのかかったハンカチを持つ
女性の所作は、圧倒的に美しいでしょう」
それを聞いて私は「ヒッ」と思いました。
だって、その時のバッグの中にはハンカチではなく、
ハンドタオルでもなく、街中でもらったポケットティッシュしか
入っていなかったのですから。
その日を境に、私はお気に入りのハンカチに
アイロンをかけて、バッグに忍ばせるようになりました。
汗を拭く、という行為1つだけでも、変わるものですね。
なるほど確かに、手間はかかるけど、気持ちがしゃんとします。
と、前置きが長くなってしまいましたが……
本日は、とびきりの「手間をかけて」完成した、
宝物のような一品のお話を
お伝えできれば、と思います。
鎌倉で出会った、2つの物語
本日お伝えする物語の舞台は、鎌倉。
安野さんのご自宅があるのも鎌倉なのですが、
安野さんの作品『オチビサン』の舞台も、同じく鎌倉です。
そんな鎌倉の歴史と工芸を、
少しだけおさらいしましょう。
今から700年以上さかのぼる「鎌倉幕府」の時代、
鎌倉は中国からもたらされた禅宗の都として栄えていました。
もちろん「禅宗の都」ですから、
多くの仏師たちが鎌倉の地にやってきます。
鎌倉の中心にある寿福寺の前には
ずらっと十数軒の仏師の工房が並び、
しのぎを削った高い技術で、
数々のすばらしい仏像が生み出されていました。
鎌倉幕府が衰退しても
変わらずに良質な仏具の生産地であった鎌倉は
江戸時代まで盛んに仏像制作が行われてました。
しかし、時は流れて明治時代
廃仏毀釈の運動により、鎌倉時代より栄えた仏像制作は
その場所を失い、多くの仏師たちは窮地に立たされてしまいます。
でも、中には仏像を彫る技を活かして
大きく舵を切った仏師たちもいました。
まるで、馬具工房として発展したエルメスが
馬車の衰退とともに、質の高い皮革製品を生み出したように。
仏像を彫るのではなく、
硯箱(すずりばこ)やお皿、机などを作り、
そこに仏師ならではの高い技術で装飾を施し、
漆を塗って仕上げるという
鎌倉彫を復興したのです。
そして、2016年。
今もなお愛されてる
鎌倉彫の名家があります。
800年もの歴史が続く後藤家の「博古堂」です。
受け継がれてきた確かな技術力と、
29代目・女性初の当主である後藤圭子さんが手がける
モダンなデザインは評判を呼び、
世界屈指の審美眼の持ち主からも
ご指名でオーダーが入るほどの品質なんです。
女優で歌手のジェーン・バーキンさんも、
鎌倉彫の小鏡を愛用しているのだとか。
そんな博古堂さんに、なんと今回、
オーダーをしてしまったのです……!
そう。
『オチビサン』をモチーフにした
特別な豆皿を、作っていただきました。
漫画作品をモチーフにするのは、
800年の歴史を持つ博古堂さんでも、
もちろん初めてのこと。
後藤さんはオチビサンを読んだところ
すっかり愛読書になってしまった……ということで、
快く今回のオーダーを引き受けてくださいました。
後藤さん「日頃漫画はあまり読まないのですが……
いただいた1巻を読んでみると、その世界観に引き込まれてしまって。
止まらなくなってしまって、すぐに読みたくって、
全巻買ってしまいましたもの(笑)。
オチビサンを読んでいると、鎌倉が舞台ということもあって
『あぁ、あの辺りがイメージになっているのかな?』
と、なんとなくわかって、嬉しいんですよ」
800年以上、鎌倉で技術を育んできた鎌倉彫と、
「失われつつある日本の原風景を描く」オチビサン。
2つの鎌倉を舞台にした物語が重なり合って、
丹精込めて生み出された豆皿が、こちらです。
この3つの豆皿、
控えめながら、オチビサンたちの
キャラクターがモチーフになっています。
オチビサンは、桜。
パンくいは、あじさい。
ナゼニは、桔梗。
それぞれが好きなお花の形を、
そして、キャラクターの色を踏襲して
作り上げられた、鎌倉彫の豆皿です。
手に取ると、ほっこりと軽くて、どこか温かくて、
それぞれの個性が楽しい、3つの豆皿。
制作途中の工房を、覗いてみると……
1工程に1日。鎌倉彫ができるまで
光が注ぐ工房では、職人さんたちがまさに今、鎌倉彫を作っています。
まずは、彫り。
使われているのは、北海道産の桂の木。
冬の水分の抜けた時期に伐採され、雨にさらして水をかけてアクを抜き、
乾燥させたものを、やっと器として成形します。
次は、また別の職人さんの手によって「木固め」が施されます。
「木固め」ののち、風呂と呼ばれる
戸棚のようなものに入れ、1日そのままにして乾かします。
次に「下地」の作業にうつります。
模様のはいってない皿の裏側には漆ととのこを混ぜた錆漆(さびうるし)を塗り、
模様のある表側には、漆を塗り、さらに炭の粉をまきます。
この作業は、化粧下地のようなもので、
最後の仕上がりを左右する大切な工程。
そして……
1日寝かしたお皿にペーパーをかけて
表面のブツブツを取り除き、
「中塗り」を施していきます。
最終的には紅色の豆皿になるのですが、
この段階では真っ黒。
真っ黒になったお皿に、
またペーパーをかけます。
そしていよいよ……
朱漆で「上塗り」を行います。
いよいよ、完成品の朱色に!
……と思ったら、
なんと、茶色い土のようなものを
まぶしていきます。
これは「マコモ」というイネ科の植物の粉末。
マコモをまぶす塗りは「乾口塗り」といって、
彫刻部分に陰影ができ、
全体に古色がかった、落ち着いた色調となるのです。
この後、ワラだわしを使い、
水とのこをつけて研ぐ、「研ぎ出し」
そして、
生上味漆(きじょうみうるし)の「摺漆(すりうるし)」の工程を経て
ようやく完成……となります。
いや、実はもっと細かい工程がたくさんあるのですが
その全てをお伝えしていたらあまりにも長くなり、
この画面もどこまでも
スクロールしてしまうことでしょう……。
そうして完成する、オチビサンの豆皿。
これだけ丁寧に、手間をかけて
作られたものだから
使う側としても丁寧に、大切に
何十年も、使ってあげたいですよね。
そして、数年使っていると
経年変化で、また味が出てくるのが
漆のお皿の醍醐味でもあります。
質を落とさないこと、時代にあわせて変化すること
ちなみに、博古堂で働く最若手の職人、渡辺さんは28歳。
多摩美のデザイン科を卒業し、
しばらくはWebデザインや
広告デザインのお仕事をしていたそうなのですが
「漆をやりたい」と志して、
2015年夏、博古堂の門をくぐったそうです。
「どの職人さんも、最初はずっとペーパーがけなんです。
渡辺くんも、この夏からやっと”下地”を任されるようになりました」
そう語る後藤さんも、鎌倉彫のデザインをするために
20代の頃は工房で彫りの勉強をしていたそうです。
そして10年前に、お父様であり、28代目当主の後藤俊太郎さんが他界。
800年の歴史がある博古堂で、
後藤圭子さんは39歳のときに店をまかされ
そのときはじめて自らのデザインされた鎌倉彫を
お店に出されたそうです。
「父から言われていたのは、
とにかく博古堂の質を落とさないこと。
ずっと側で仕事をしていましたが、
折に触れて、そういう言葉がよく出ていましたね」
取材中、後藤さんは何度も何度も、
「質を落とさない」「時代にあわせて」という
2つの言葉を繰り返して使っておられました。
それは明治時代の終わり、
後藤さんのご先祖様でもある仏師の方々が
「仏像ではなく、質はそのままに、
時代にあわせた道具を作ろう」
と舵を切ったときにも
同じ思いだったに違いありません。
手間をかけて過ごす、特別な時間を
博古堂の歴史と、職人さんの手間が詰まった、
オチビサンの豆皿。
使うひとの所作や心まで美しくしてくれるような
品のある3枚に仕上がりました。
■オチビサンの大好きな桜
「オチビサンの金平糖豆皿」
仕上:朱漆ひくち塗
■ナゼニの心の星・桔梗
「ナゼニのようかん豆皿」
仕上:錫仕上
■パンくいの作ったあじさいパン
「パンくいのバター豆皿」
仕上:ふき漆
お手入れには、すこしだけ手間がかかります。
でも、それも鎌倉彫の豆皿を大切にする、豊かな時間。
この豆皿に、金平糖や甘納豆を乗せて、
物語に想いを馳せて……。
すこしだけ手間をかけながら、鎌倉彫の豆皿と一緒に
特別な時間を過ごしていただければ、嬉しいです。
「鎌倉彫でつくったオチビサンの花の豆皿」特設ページはこちらから
豆皿企画・デザイン:中川政七商店:中川政七商店
この記事をかいたのは、このひと
塩谷 舞(ライター)
1988年大阪生まれ、京都市立芸大卒。PRプランナー/Web編集者。CINRAにてWebディレクター・広報を経てフリーランスへ。お菓子のスタートアップBAKEのオウンドメディア「THE BAKE MAGAZINE」の編集長を務めたり、アートのハッカソン「Art Hack Day」の広報を担当したり、幅広く活躍中。