2016-1-14
オチビサン歳時記 第24回 〜凧あげ〜
澄み渡った新春の空に、凧はとても似合います。
ただ近ごろは、お正月でもあまり見かけなくなりましたね。
都市化が進み、安心して凧あげのできる場所が減ってしまったからでしょうか。
でも、豆粒町ではこんなにたくさん凧があがっていますよ!
ただひとりの分をのぞいては……。
がんばれ、オチビサン! まけないで!
凧は、かつて「イカ」だった!?
凧の起源は中国とされていますが、じつはよくわかっていません。ただ、アジアでもヨーロッパでも昔から見られ、古くは軍事用や吉凶を占う道具として使われていたそうです。戦いの際に敵の城の距離を測るために凧をとばしたり、のろし代わりにあげたりしたというので、楽しい遊びとはかけはなれていたのですね。
日本では、平安時代の書物に「紙で作ったトビ」という表現で凧が登場。遊びとして人気が出るのは江戸時代になってからでした。まず大坂で火がつくと、江戸にも広まり、子どもたちは夢中になりました。人々が凧あげを楽しむ様子は、当時の絵にいきいきと描かれています。2階の部屋の中から鳶凧をあげているのは商家の子。隣の家の木に凧が引っかかり、眉をしかめているのは武家の子。町を歩きながら、人混みでもかまわず奴凧を操る子までいます。相手の凧を落とす凧合戦も人気でした。驚くのは、大人の男性がうれしそうな顔で凧をあげる絵も多いこと。高く上がると、まるで自分が空を飛んでいるような気持にさせてくれる凧ですが、江戸のおじさんたちも、何かストレスがあったのでしょうか。
ともかく江戸は空前の凧ブーム。ところ構わず凧あげをするため、通行人の邪魔になったり、けが人がでたりするしまつで、ついに幕府は「いかのぼり禁止令」を出します。じつは凧は、かつて「いかのぼり」とよばれていました。「タコ」という呼び名は江戸で生まれたと言われています。今でも、関西では「いか」や「いかのぼり」、地域によっては「はた」「たか」などという呼び方が残っています。